【対談6】キャリーオーバーというブラックボックス

スタッフ
 キャリーオーバーという制度がありますよね。消費者にはわかりにくいうえ、扱う企業にとってブラックボックスになるので、倫理が問われるもので、販売の向こう側です。以前、白井さんがコンビニの鮭弁当の話をされているのを思い出しました。
キャリーオーバーとは

加工食品を製造する上で、添加物が使用された原料を加工し他場合、添加物はそのまま加工食品に残るという意味です。その場合でも、条件さえ満たせば加工食品への表示義務はありません。

キャリーオーバーの条件
次の両方にあてはまる食品添加物を「キャリーオーバー」といいます。
・原材料の製造時にだけ使われていること。
・原材料に使われた添加物が出来上がった加工食品に対して、その効果を発揮しない量であること。

例えば、コンビニ弁当のハンバーグやソーセージ。加工時に使われた醤油に保存料が使われていても上記条件を満たせば表示義務はありません。また、スキンケア用品でも、原材料の時点で保存料をしっかり入れて、製品にしたときに「無添加」ということができます。この製品にハーブエキスを1滴入れれば、「天然ハーブエキス入り無添加商品」が完成します。

白井氏
 そうですね、例えばソーセージ。お弁当にソーセージが入っていても添加物ないし、現状の表示だけをしていたらパッケージを2~3枚めくって書かないと表示できない。それを防ぐために何が使われているかは、例えばコンビニの加工食品工場に持ち込む時点で成分表示をして、後はソーセージという名前で記載すればいいよということですよね。そのソーセージには何十種類もの添加物が入っています。
スタッフ
 海外から輸出してくるときにさまざまな化学薬品漬けされて持ってくると。だけれども認定された工場で作られたものに関しては無添加になるという。そういう恐ろしい仕組みがあることをあなたはご存知ですか、というところですね。
白井氏
 さっきの話とまったく同じで、コンビニのお弁当は存在してはいけないという究極の定義をしようとしているのではなくて、やむなく食べるときもあるし、だけどコンビニの弁当を主食にするのはまずいですよという話だと思うんですね。東京農大のある先生が妊娠している豚を使ってコンビニの弁当を食べさせるという実験をおこなったところ、6~7割が流産。生まれた子豚の2~3割は奇形だったそうです。
スタッフ
 すべての弁当はそうではないとは思いますが、安く、早く、たくさん、という消費社会の仕組みの中での負の遺産にあたるものですね。
白井氏
 大量生産というのも人間のためだけの。自我と欲が拡大しすぎています。
スタッフ
 大量生産と言われる産業革命自体が大きな変化点だと思います。だけど少なくともたくさん収益を上げるために利便性を上げたというのが大量生産であることは間違いないわけで、その結果まさに副作用みたいなものが出てくるわけですね。そして経済が息詰まると一番大きくお金がいる軍事産業を活性化させるみたいな。みんなそろそろ気がついてきているんじゃないですか。

 例えば、自然とうまく共生・調和して向かい合うと、違った結果が出てくるかもしれないですよね。自我と欲が拡大しすぎたと。理念にも『自然との調和』とあるけれども、普通の人はそれをやったところで何がという、それが一番大きいところですよね。何の意味があってという。

 でも畑をしている人とか命を預かっている人、そうすると少し踏み込むじゃないですか、土を触ったりしていると。でもそこからかけ離れた生活をしているとなんだか実感が沸かないですよね。コンビニ行ったらなんでも手に入ると。そういうのがありますよね。

白井氏
 例えば調和をするということが、自然との調和はもちろん人との調和も持たなきゃいけないし、ということをすると、簡単に言うと自分だけが特別であると考えていたら調和できないと思うんですね。人とは違うとか、自分だけが成功者であるとか。その大勢の一部であるというふうに考え方を変えていければ調和というのをしていける。
スタッフ
 でもなかなかそういう境地には。経営者とかやっていると、組織の一部にいる人よりも無意識に何百倍も気をハッタリとか、体験せざるを得ないじゃないですか。うまくいくとそういう方向に流れていく方もたくさんいると思うし。
白井氏
 そうですね。まれに何もとらわれずに本当は困っているんだけれども、悩んでいるんだけれども、あえて自分に向き合わずに無視して好き放題している人たちはいると思うんですよね。

 でも多くの人たちは少なからずとも自分の生き方や人生や、家族を通して、会社を通して、社会を通して、全て自分自身と向き合うことってあると思うんです。困難であったり悲しみであったり、そういうことがあったときに何かしらのメッセージが出てきて、そこに引っかかるということだと思うんですね。だからわれわれは何をしたらいいのかというと、別に誰にも見られないかもしれないけれども、そういう人たちに対してきっかけや気づきになるもの、そういうものが出せればいいなと思うんですね。

 自分たちの存在もそうですけれども、自分たちの行為、何をしているかを知ること。それを突き詰めていくとできることとできないことが必然的に出てくると思うんですね。例えば、シャンプーをやめてリンスやコンディショナーも使わない。石鹸だってそういう視点からしたら汚染する。今日から何もしない、添加物も食べないとやった場合、それこそ生きていけないんですよ。だから認識しましょうねというところが重要になってくると思うんですね。化学物質で汚染していますよねと。それを浄化するためにどれだけの電気代をかけて水に負荷をかけて、それを自然に返していこうということをやっていこうという。そういう意識をするだけでも随分違うと思うんですよ。

 何かをしなきゃいけないとか、生活を変えていかなきゃいけないとか、生きていることを恥に思えとか、そんなんじゃなくて。まずは足元を見つめましょうよという話ですからね。小さい単位で、一個人で考えれば、苦しみの局面において成長していくわけですよね。人間が地球上に存在していて、何をしているかというと、どう考えても人が多ければ多いほど地球に負荷をかけているんですよね。そうなったときに、地球自体がもっと単位を大きくしていくと、その負荷に対してどう地球自体が存在していこうとしているのか、宇宙全体としても。われわれ生きている人間だけが意識を持っていてもなんでもできるわけじゃないんですよね。一方で負荷がないと成長しない。これは間違いないですよね。負荷があって当然しかるべき。そこをまず認識しましょうという。

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