【対談2】農薬について想うこと

スタッフ
白井さんにとっては当たり前であることを、僕たちに届くように、できるだけ言葉にしていただくとうれしいです。例えば、田七人参は無農薬、有機栽培と簡単に言うけれども、どういう手段で何をやっているかということなどです。白井さんから見た漢方の位置付け、体感していることや、なぜ無農薬、有機にこだわっているのか。中国で何を見てきたのか。栽培法とか、農業に対する考え方という、そこにすべてが集約されると思うんです。自宅でもお米や野菜、果樹などを栽培されていますよね。
白井氏
自宅の野菜の生産と田七はやり方が違うけれども、なぜやるかということについては同じだと思うんです。例えば、自宅で生産する野菜やリンゴに関して言えば、まず根本的に農薬を使いたくない。それはなぜかというと経験したことのない方にはピンとこないかもしれないですが、臭い。そもそも拒絶感がとても強いという。それは反応的です。それが例えば中枢神経にどういう影響を与えてとか、そんな難しい話ではなくて、農薬の臭い自体にそもそも拒絶感があるということですね。そういうものを自分たちが食べるものに使いたいかという、そういう非常にシンプルなところです。

そうすると使いたくないので、自宅で食べる野菜には当然農薬は使わないということです。難しい話で言えば、農薬を使わずに環境影響を軽減してみたいな話もありますが、でもそんなのはどちらかというとやっている経緯の中で気がついたことであって、根本的に使いたくない。臭いや存在自体が嫌です。こればかりはどうにもならないところなんですね。というのは、うちの両親がリンゴ農家で、1年間に十何回も農薬をかけて、言ってみれば農薬で病気になったりすることもあるわけです。ずっとうちの両親が農薬を使い続けてきた結果、それを見て、農薬を散布した状態の畑をよく知っているんです。

スタッフ
どう違うんですか。
白井氏
色が違います。すごい臭いがするんです。誰でも無条件で息を止めますね。
スタッフ
鼻につく感じなんですね。土の状態とか見た目とかはどうですか。
白井氏
農薬を使っていると、やらなければいけないことと、やらなくていいことが変わってくるんですよ。例えば農薬を使うということであれば除草剤も使えるわけですよ。そうすると草の問題というのは除草剤を撒いてしまえばいい。ところが有機栽培をやると草が有機肥料になるんです。だから草を生やさなければいけないと、ガラリと180度、変わって、よくいう共生をしながら育てていく。虫も出るし、草も生えるし、鳥もいるし、もちろん受粉のためのハチがいなければならないし。だから全体を、ぼんやりピントを引いて見たときに、例えばリンゴの栽培をやっているよとか、野菜の栽培をやっているよとか、田七の栽培をやっているよというふうに、自分たちが主体的に見れば当然、きっかけづくりや行為は自分たちでしているんですけれども、でも、例えば有機栽培のリンゴで言えば、特にハチが受粉をしてくれなければ着花しないわけです。われわれが人工授粉を手でやる場合もあるんですけれども、そんなことは常識で考えるとやりきれないわけですよね。

昆虫を含めた生き物全体が環境の中でどういう位置付けなのかということを考えれば、農薬を使うこととか殺虫剤を使うことが全体のバランスを大きく崩してしまうということになるわけですね。農薬を使って多くの人に届けるという側面は生産性のためにはとてもいいことだと思うんですけれども、僕自身それはやりたくないというだけのことであって、決して農薬だとかを否定するようなものではないんです。

よく農薬を輸入する社長と話をするんですけれども、その人は有機のリンゴとか有機の野菜を食べることが好きなんですよ。ところが自分では除草剤の主原料を輸入しているという。まったく業にはならない。なぜかというと、自分の食べるものは有機で欲しいと。一番最初に指摘されたのは、「白井さん、有機が全てだという言い方は避けたほうがいいよ」と。なぜなら、自分の入れている除草剤というのは当然農業に使われるわけだけれども、もっと大きい目的は、例えば、線路の中の草が生えたときの対策、有機で線路を守れるかいという話なんですよ。それはもう除草剤を撒いていくしかないわけです。脱線させちゃまずいですよと。そういう使い方。除草剤なら除草剤本来の使い方があって、そういうことで現在回ってしまっているのでやむを得ないよねという。それを全部ダメだと言えば、そもそも成り立たないよねと。確かにそうだなと思って。だからあまり僕も農薬はいけないとは言わないです。

例えば、高齢者の人たちが多くの人にリンゴを届けたいといって農薬を使うのはしょうがないという選択はすべきなんですね。買う側とか。それはまったく田七も同じだと思うんですよ。僕のやっている無農薬や有機のものを『これが一番いいからこれを買わなければいけないんだ』ということではないと思うんです。ただ、そのためにわれわれの田七はなんなのかを知ってもらうというのが、「第4章 田七人参の位置づけ」のとても重要なところだと思うんですよ。

だから単に存在している田七を否定して、自分たちが正義だということで成立させる話ではなくて、どうでもいいんですよ周りが何をやられていても。でも、そもそも自分自身が小さい頃から農薬などに関わってとても違和感、嫌悪感があるよと。その上で自分が人のためになれることを選択するときに、自分を騙しながら、ただ生産性のためだけに仕事をするとなるとそれはできないよということだと思うんです。そうなった結果、自分で野菜を育てるように当然田七人参も、自分が飲むんだったらということを考えるんだったら当然無農薬、有機なんですね。

このページの先頭へ